はじめに   山本 桂馬

 出来るだけ沢山の句を、読んで頂きたいと思いました。読み難い句集になったことはお詫びいたします。句会での題詠ばかりを集めました。雑誌等のメディアへも投じていますが、これは除外いたしました。私の写真も略歴も省きました。句の数をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。この題でこの発想をというのが狙いで題を付記したのですが、題との付き方が通俗なものが多くて反省しています。類似した表現のものを避ける選句作業も、これからの反省になりました。作業を進めるうち、ふつふつと湧いてきたのが、選者諸氏への感謝です。どの句も句会の選というフィルターを通して、ここまでの表現の冒険は良い

これ以上は悪いと選別されて残ったものです。

相撲は負けて覚え、川柳は抜けて覚えます。  

まさに川柳を教えてくださるのは、選者諸氏に外なりません。一つ思い出があります。ある句会で古風吟の天位に抜けました。次の月の例会で、いつも話を交わしたことのない先輩が寄ってきて、「あの句はあなたの見付け所も良いが、それを拾い上げた選者の偉さも感じなければいけないよ。」と注意してくれました。こういった有難い先輩達が、川柳を守り育てて来たのだと思います。

 最近図書館で借りた本に、江戸からの噺家円朝師が、明治になってからの客の反応の変化を嘆くさまがありました。何でも川柳に結びつけるのは私の悪い癖と思いますが、決して長くない柳歴の私から見ても、川柳は変わって来ていると思います。言葉を慈しんできた、育った時代の句の趣が忘れられないのは、味覚と同じなのでしょうか。

 表題(鎮痛剤)には、次ページの小文をお読み下さい。二年前のかつしか誌所載です。

 フィクションと妻と

 (このドラマはフィクションです。登場する人物団体名は架空です。)テレビ局によって文言は違いますが、サスペンスドラマの大団円のあとに決まって流されるテロップです。何でも訴訟される時代への予防も含んでのことと思いますが馬鹿にされた気がするのは被害妄想でしょうか。そうはしない噺家もありますが、サゲを述べたあと一瞬でも素の顔に戻って、高座を下がるのが本筋だと思うし好感が持てます。その所作で今まで語ってきたことは「おはなし」ですよと言外に客に告げているわけで、野暮なテロップを必要としない、演者と客との信頼です。こうありたいと思うのです。

 映画「蒲田行進曲」の幕切れのシーンのことで、江戸川句会の定夫さんと話し合ったことも、少し遠い思い出となりました。私は病院の背景が一転して、撮影所内の現実になる工夫を是とし、定夫さんは反対の意見でした。昔の芝居の幕切れには、チャンバラを中止して「本日はこれまで」と、敵味方一同が揃ってお辞儀をしたやり方があって、新国劇がこれを復活して見せたこともありました。虚構を楽しむ余裕を持つこの国の観客ですから当然のことですが、芸というものに、深い愛情と理解をもちあわせています。

 三月の歌舞伎座に(水天宮利生深川)の上演がありました。以前安藤鶴夫氏が、この芝居に書いた劇評が印象的でした。貧窮の故に狂った主人公の所作に送った満場の拍手に対しての部分で、「こんな場面での、こんな観客の反応は、この国以外にもあるのだろうか」と。筋立てに優先して凄絶とも言える演技を賞賛してやまない観客の資質を、誇りに思っての言葉でした。この国伝統の伝うべき事物(内容)と、どう伝えるべきか(表現)との比重を、この劇評が教えてくれています。もう一つ民族学者の柳田国男氏が、清光館哀史の中で引用していた言葉も忘れられません。「痛みがあるからバルサム(鎮痛剤)は存在する。」考えてみると、私は私の痛みへの鎮痛剤として、川柳を作っている訳です。私の病状に合わせての調剤には、虚構という顆粒も、笑いの散薬なども必要なものです。詩性の水薬や人生の指針の漢方薬も、棚には有るのですが、処方に加えると副作用がありそうだと、私の主治医(妻)はみています。鎮痛剤のもう一錠として、月に一度は妻と寄席に出掛けます。随分前に妻が「あの噺家は毎回同じ噺でつまらない」と言うので若い噺家の場合は前回との進歩を聞き分けるべきだし、年配の噺家の極めた芸は、いつ消えてしまうかも知れないものとして、耳の奥に愛蔵しておくのがファンの責務なのだと、評論家の受け売りを話したことがありました。妻は芸とかフィクションの話は為にする予防線だと、腹の中では笑っているようです。

 「川柳のネタに困らぬ妻を持ち」妻の句が多いと言われて久しいことですが、実物を見たいと言われる方も居ます。夫婦仲をご心配くださる方もありました。長年のことですから、いちいちの句に腹を立てていては桂馬の妻は勤まりません。フィクションだと割り切っているようです。この妻にして一度だけ、異を唱えた句がありました。

(この妻が五月みどりと同い年)を読んで

「私のほうが一つ若い」と申しました。